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二 翻訳のコンセプト「信・達・風・形」 『薫風濤声-短歌型和歌漢訳と漢歌』より (連載二)

二 翻訳のコンセプト「信・達・風・形」
 約百年前に、中国に厳復(げんふく)という教育家・翻訳家がいました。彼は若い頃に公費でイギリスに留学し、清朝末期に復旦大学と北京大学の学長を務め、ヨーロッパの近代的な学問を中国に紹介しようとして、ハク
スリーの『進化と倫理』(中国名『天演論』)、アダム・スミスの『国富論』を翻訳したことがあります。
厳復は『進化と倫理』のまえがきでよい翻訳の基準を「信(しん)・達(たつ)・雅(が)」で表現しました。彼がいう「信」とは原作の内容に忠実であること、「達」とは訳文の表現が流暢で的確であること、「雅」とは訳文が優雅で品のあることをいっていました。この「信・達・雅」はすべての翻訳に適用できるといわれてきました。
 しかし、問題もあります。「雅」でいえば、原文が上品ではなく下品であった場合、その訳は上品ではなくやはり下品に訳さなければなりません。結局、「雅」はいらないのではないかと、「信・達」だけでいいのではないかという議論になってしまいます。なんでもかんでも文学的に、上品に訳すとその作品が持つ個性がなくなってしまいます。やはり作品本来の「味」または「作風」というものは大事にしなくてはなりません。ここでそれを「風」といいましょう。
 さらに、形が求められる場合もあります。歌詞の場合は訳が原曲にぴったり合わなければなりませんし、映画の吹き替えはリップ合わせもしなければなりません。ここでいう「形」には二つの意味があります。一つは原作が詩であれば訳文も詩、原作が歌であれば訳文も歌という形をとらなければならないこと、もう一つは、特に定型文は外形上もなるべく原作と一致させる必要があるということです。
 よい定型詩または歌の翻訳は、「信(しん)・達(たつ)・風(ふう)・形(けい)」でよしあしが問われることになります。
(続く)
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